objet
竹・地下茎 オブジェ 
竹ろうそくのきっかけ竹・地下茎オブジェ
 
<竹ろうそくのきっかけ>
 
 1991年1月、グリーンランド行きが決定した。
 当時、竹の色で悩み続け、暫く悩んで出た結果、色のない国に行って自分自身の竹の色が何色か見てみたいという結論に達した。
 アメリカ大使館やデンマーク大使館に2回目の許可申請で漸くOKが出た。
 6月30日に京都国際ホテルにて「八十山和代・グリーンランド1人旅」のパーティ−を開催する3週間前、8人の発起人と野村隆哉氏(竹の研究者)を連れて祇園町の行きつけの店「ピアノラウンジ遊」に案内した。
 「ピアノラウンジ遊」は、花見小路末吉町北西角の星の子ビルの5階にあり、ピアノで歌える店。その店の店内照明は、シェリーグラスに色のついた水を入れ、丸い浮きろうそくの灯り。店のあちこちに浮きろうそくがゆらゆらと揺れ、柔かい灯りで心が落ち着いた。
 私「そうだ、竹の中に水を入れ、浮きろうそくを浮かしたら綺麗だね。」
 切り口を斜めや真っ直ぐに切ったら灯りの角度が楽しめる。
 私の案を野村氏が懇意にしている東洋竹工に依頼をし、竹ろうそくが誕生した。
 数年後、「ピアノラウンジ遊」のオーナーが病で亡くなり、その意志を継いでピアニストの紫さんが、花見小路新橋西南角地下にて「ピアノラウンジBURERA」のママとして現在活躍している。店内には、今もシェリーグラスにろうそくの灯りがゆらゆらと揺れている。